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更新日:2020年1月24日

災害支援ボランティアナース活動報告(宮城県石巻市)

活動概要

日程

4月2日(土曜日)から4月5日(火曜日)まで

場所

宮城県石巻市 渡波(わたのは)小学校

編成

秋山ゆかり看護師(7B病棟)

要請元

公益社団法人 日本看護協会

活動報告

【活動報告1】石巻市にて

ナース

日本看護協会では、“災害支援ボランティアナース”(以下、災害支援ナース)というシステムがあります。火事・地震・テロなど災害全般に関する講義・実習を受けた後、所属部長承諾の上、自己申告で登録します。
東日本大震災が3月11日(金曜日)に発生し、翌週には日本看護協会から静岡県看護協会を通して支援要請がありました。その数日後の15日夜、富士宮~富士でも地震が起き、不安や混乱の中、家族や、看護長はじめ病棟スタッフの協力により、派遣が決定しました。
今回派遣された災害支援ナースは、第24班・25班合わせて31名でした。宮城県内の避難所16か所に1~2名ずつ派遣され、私は山口県のナースとペアを組み石巻湾の端の方にある渡波小学校に行くことになりました。朝8時すぎに東京の日本看護協会を出発し、到着したのは夜7時過ぎでした。

学校の様子

渡波小学校では400名程の児童が掃除をしている最中に地震が起き、揺れがおさまったところで体育館に避難したそうです。そのすぐ後、2mを超える津波に襲われたものの奇跡的に数cmの浸水だけで済み,周辺の避難者約2000名が集まり、物資到着までの4日間をビスケットを分け合ってしのいということです。

【活動報告2】健康管理支援

作業

私が派遣された時点では、体育館と学校2・3階合わせて約850名が避難されていました。その方々と共に、体育館の中央に24時間常駐することとなりました。到着した晩に、トイレに向かう男性の足が異常に腫れていることに気づき、声をかけました。「元々持病があり少しむくみはあったが、日に日に増強し、床での寝起きやトイレ歩行に苦労している」ということでした。また夜中の1時頃には、高齢の女性が迷っており、一緒に部屋を探しましたが見つかりませんでした。そこで富士から持参した温かいお茶とたんきりを召し上がって頂いた後、体育館に寝床を作り朝まで寝て待って頂くことにしました。

被災者と1

翌朝、ご家族が捜しに見えられて、無事に学校の2階に帰って行かれました。他にも、認知症と思われる方や、知的障害をもつ方も何名かおられ、ご本人の混乱もあり、ご家族は周りに気を遣い、ご苦労されている様子でした。乳幼児を抱えるお母様も同様でした。初日にトイレで出会った男性には、翌日に血圧測定や体調を観察した後、発砲スチロールの箱を利用してわずかなお湯で足浴を行い喜んでいただきましたが、診察を依頼した結果、救急搬送され入院となりました。

【活動報告3】様々な症状

被災者と2

夜中になると、体育館のあちこちで咳が聞かれました。避難者1人当たりの生活スペースは1畳分くらいで、床に毛布を敷いて、隣同士が密着した状態で寝ていました。2階の教室であっても1日たつと砂が積もっているような状況でした。若い方々は、日中は自宅の片付けに出かけており、帰って来ると咳がひどくなっているように感じられました。また、手の爪は伸び砂が詰まっている状態でした。その様子を見て早速、各洗面所にうがい薬・紙コップの設置、手洗い・うがいの励行を呼び掛ける張り紙の掲示、トイレ・各教室に擦り込み式手指消毒剤を設置するなど、感染対策に努めました。

水浸し

また、後任の災害支援ナースと3名で体育館~全教室を分担して巡回し、避難者1人1人に声をかけ、血圧を測り、手を握りお話を伺っていきました。すると、糖尿病や心疾患をもち、薬を津波で流され中断している方が多くいらっしゃることがわかりました。中には、震災前は正常だった血圧が、200mmHg以上に上がっている方もおられましたので、すぐに救護所の受診を勧めて薬を再開していただきました。また、母親の介護中に津波に襲われ「母の手を離し自分だけ助かってしまった」と罪悪感を打ち明け泣き崩れる方や、被災から今日まで気分が高揚して不眠が続いている方もおられました。被災から3週間もの間、たった1人で苦しんでおられたのか…と、かける言葉もなくじっと聞くしか為す術はありませんでした。

【活動報告4】最後に

学校の様子2

今回の体験により、心を寄せて耳を傾けること、手を握り共に感じることの大切さをあらためて感じ、看護の原点に返ることができました。また、東海大地震を想定した場合、病院としては、部署ごとに患者の特性から起こり得る場面をイメージして、救援までの数日間の患者及び職員の食糧・トイレ、搬送方法など具体的なマニュアルを作り直し、トリアージも含めた避難訓練を頻回に行っておくことが必要だと実感しました。市民の皆様におきましては、お薬手帳を普段から持ち歩き被災後早期に薬を再開すること、避難所に指定されている場所には、深部静脈血栓症の予防としてラジオ体操がすぐ始められる準備、また擦り込み式手指消毒剤・水・うがい薬の準備をしておくことが必要かと思います。さらに行政においては、乳幼児や障害者・認知症の方とその家族など災害弱者と呼ばれる方の避難場所を確保しておくこと、地震から数十分で津波がくると想定した場合、現在地から避難できる場所を指定・表示しておくことが求められるのではないかと思います。

避難所にて

派遣から16日後の4月21日、渡波小学校は、新学期を迎えました。しかし、5月9日現在、まだ約400名が校内に避難されているそうです。避難所生活が長期化することにより、感染症の蔓延、ストレスの蓄積が予想され、継続的な医療提供と共に、いずれ支援がなくなっても被災者自身の力で生きていけるよう自立に向けた段階的な調整・看護が重要になってくると思われます。
「光 海にひろがり 新しい今日の夜明け 希望は わたし達に 朝の波のように輝く 手をつなげ 渡波の子ら 学校の鐘がなるよ」(原詞 豊原政夫、作詞 千葉徳二、作曲 海鋒義美)渡波小学校の子供たちが、元気に校歌を歌う声が聞こえてきそうです。

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