ホーム > 当院のご案内 > 当院の取り組み > 災害対策への取り組み > 各地で発生した災害における活動報告 > 東日本大震災における医療救護班等の活動報告 > 中央病院医療救護班活動報告(岩手県宮古市・第15陣)
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更新日:2020年1月24日
5月5日から5月9日まで
岩手県宮古市
赤前小学校
津軽石小学校
津軽石中学校
重茂診療所ほか
秋山直枝医師(小児科)、島津健太看護師(3B病棟)、柿畑匡則看護師(5B病棟)、渡邉浩臣薬剤師(薬剤科)、高橋啓理事務吏員(病院総務課)
静岡県健康福祉部地域医療課
3月11日に発生した東日本大震災において、岩手県から静岡県に対し、継続的な医療救護支援の要請がありました。県では県内の病院で医療救護チームを組織し、3月21日から継続的に岩手県宮古市での医療救護活動を行っています。富士市立中央病院では、県からの要請を受け、第15陣(5月5日から9日)、第17陣(5月11日から15日)での医療救護班派遣を行いました。医療救護班は医師1名、看護師2名、薬剤師1名、事務1名の5人体制を取り、現地(宮古市)の救護所における避難住民等の一般、慢性期医療の提供及び周辺の避難所等の巡回診療を行いました。
岩手県宮古市までは、他のチームとともに県がチャーターしたバスで朝6時に出発、到着は午後の6時頃という長い行程でした。そのまま夜に前のチームから引き継ぎを受けて、翌日から3日間の支援活動となりました。活動拠点となる赤前小学校の周辺には、津軽石小学校と津軽石中学校があり、この3か所に約140~150人の避難者が生活していました。
朝晩と、この3か所の避難者に対し、血圧測定などの健康管理支援を行い、赤前小学校の音楽室に診療所を設け、そこで診療を行いました。診療器具や薬剤は県から準備されたものが揃っており、それほど不自由なことはありませんでした。特に重い病気の方はいなかったものの、食あたりで嘔吐した人や麻疹のような症状が見受けられた人が出たため、避難所という性質上、感染をもっとも恐れなければならず、救護病院である宮古病院へ紹介し、検査を行ったりもしました。
また、宮古市の南東に位置する重茂(おもえ)半島(※この半島の姉吉地区というところでは、陸地の斜面をさかのぼった津波の高さ(遡上高)が過去最大の38.9mに達したといわれる。)は、診療所の医師が3月から不在となってしまったため、2日に1回、この診療所に赴き、診療を行いました。そこでは、交通手段がなかったり、外出が困難でなかなか診療所へ行けない患者に対して、希望により往診も行いました。
避難所の生活については、この3箇所の避難所には間仕切りもなく、プライバシーのない状態で、避難者の方の様子は長期の滞在で疲れているようではありましたが、周りの方と声を掛け合い、元気な方が多いという印象でした。私たちが血圧の測定や健康状態の確認を行う際も、明るく振舞っていただきました。小学校の校庭では急ピッチで仮設住宅の建設が進んでおり、この避難所の方はもれなく入れるということでしたが、その仮設住宅暮らしもいつまで続くか見通しも立たない状況下で、どれだけ被災者の方が将来を不安視しているか計り知ることはできません。
倦怠感漂う避難所を明るくしていたのは、子供たちでした。避難所にいる子供たちは、みんな元気に遊んでいました。子供なりに不安はあるのだろうけれど、診療所の中でスタッフと仲良くなり、スタッフにあだ名をつけたり、ホールで一緒に遊んだりしました。この状況下でなんでも工夫して楽しむことができる、また周りを明るくできるのはさすが子供たちだなと思いました。
今後は、仮設住宅の区域ごとに診療所を設ける計画があるということで、そこでの医療救護班の支援等が継続して行われることも予想されます。
また中央病院に声が掛かることでしょうが、今回の被災地支援を経験し、被災地のあまりの惨状と被災者の現状を目の当たりにして、引き続き出来得る限りの支援を行っていければと思っています。